![]() |
| [掲示板に掲載されたものより転載] 皆さんにありったけの幸福が降り注ぎますように。 3月29日(土) 23時14分 くーじー 別れ際に、ほらそこに、これからの笑顔があるんだ。 心に刻んだ場所は、もう変わらないはず。 歳を数え終わるまで、語り尽くすまで、話したいんだ。 今、あの頃の僕は、笑っているから。 翔べるものならば、翔んでるさ。 海を歩ければ、やってるさ。 けど僕等は人であり、君へと笑う。 雨は上がっているのなら、赤が青に変わるのなら、 あの影も四季に溶けるなら、傘は置いて行こう。 信じてる人も、いんだろうな。 信じない人も、いんだろうが・・・。 “最後に笑う者”ってのは、探すみんなのこと。 あっ! そうか !! どの道も笑顔への橋と考えて。 どうあれ、笑いはずっと、病気を治すように、生まれる前からあって。 そうだね。そんな笑いが解る気持ちなら、涙も笑うかなって。 笑顔、笑顔。街に見る笑顔。 ほら、笑顔。泣き顔も笑顔。 ほら、笑顔。辿り着く笑顔。 あぁ、目の前の笑顔。 ・・・この中村一義君の「笑顔」という曲をのほほんのエンディング曲に決めた当時、番組をはじめるというのに、僕はこの番組が終わる時の事を考えながら選曲していたのを覚えています。僕は当時、なんの力もない素寒貧なディレクターでしたし、「一緒にやらせてください」って言ってきたのは、なんだかふわふわしてていっつもにこにこしていた野のものとも山のものともわからない香世ちゃんでしたし(笑)。不安一杯で・・。でも、小松さんが、香世ちゃんはいいコだ!正解ですよ!!と言ってくれたのを支えにスタートしました。だめだったら僕がすべて責任をとると決意を固めてはじめた番組でした。だめだったらラジオの世界をあきらめようと腹に決めていました。それから時が過ぎ、いつの頃からか、小松さん、香世ちゃん、そして僕のうち、誰か一人でも抜けるようなときがあれば、その時は、のほほんは解散するというぐらい固い意思が芽生えていました。だから小松さんが、病気で倒れたとき、もう、のほほんは続けられない・・・と落ち込んだときもありました。でも、不思議なことに、香世ちゃんがお見舞いに行けば行くほど小松さんは元気になって復活。ほんとに彼女は不思議な力を持ってる人でした。でも、天真爛漫に見える彼女も僕の前で数回涙を見せたことがありました。上手にしゃべれない。小松さんに迷惑ばかりかけている・・。いっつもそんな悩みでした。あの笑顔が泣くんです。ほんとに心の綺麗な人でした。そしてそれを温かい目で見守ってくれたのはやっぱり小松さんでした。小松さんの優しさ、そして香世ちゃんの誠実さ。それから支えつづけてくれたリスナーさんからのメッセージ。語り尽くせませんが、本当に素敵な番組素敵な仲間、素敵なリスナーさんたちとの出会いをたくさんもらいました。香世ちゃんは、自分の道を歩き始めます。人がよすぎていっつも前に進めなかった彼女が福祉の道でがんばりたいと堂々と言ってのけました。小松さんも、50歳を目の前にして、小松士郎の集大成を作りはじめられることだと思います。僕もラジオを教えてくれた小松さんにご恩返しをする為に少し早起きする決意をしました(笑)。香世ちゃん、小松さん、江口さん、理恵ちゃん、風呂本君、そしてのほほんにかかわってくれた多くのスタッフ。そしてバックアップしていただいたスポンサーさん。キューインのお姉さんたち。ミミーのみんな。真理恵先生。そしてそしてリスナーの皆さん。ありがとうございました。誰もが知っていることだけど、夜が明ける朝は必ず来る。もし、朝が眩しすぎて嫌になってしまったら、それで、もしその日が土曜日だったら、あの日の2人の声を思い出してください。 最後に、番組を愛してくれたみんなへ、「どうも有難う」。 どうかこの思い出が自由と優しさとつながりの思い出でありますように。 小松士郎@のほほんラヂオ 番組担当 久島健一 |